あさきすの心のうち

30歳。裏切られて傷つき引きこもり、退職。からの、これからの話

裕福ということ。ムヒカ大統領の本を読みながら。

私たちは、欲しい物がどんどん手に入る生活こそ裕福である、
という価値観の中で生きてきたのではないだろうか。
 
そこには「手に入らない生活は貧しく、不幸だ」ということを孕んでいる。
では、世界的にみたときに、ものを手に入れていないひとは不幸なのかというと
必ずしもそうではない、ということに気づく。
 
それに、ほしいものを手にいれるためにはお金が必要になる。
お金を得るためには競争に勝利したり、人を騙したりすることもある。
そこには醜い人間関係が生じうる。
 
そうまでして、私はお金を手に入れたいとは思わない。
 
ウルグアイのムヒカ大統領の本を読んでいる。
彼は世界でもっとも貧しい大統領として、清貧な生活を送っている。
 
そういう人はえてして、田舎に住んでいる。人口が少ないところだ。
 
なんとなく、そこに答えがある気がする。
 
なまじ、人が多いと、人と比べる。
そして、劣等感を抱いたり、優越感を抱くために着飾ったりする必要が出て来る。
毎日、好きなひととだけ出会う生活ならば、
特別に着飾る必要はない。
なぜなら、外見でそのひとの価値は何も変わらないからだ。
 
昔たとえば「ザ・シェフ」という漫画があった。
そういう本に出て来るのは、
みすぼらしい格好をした客人にどういう対応をするか。
実は、ホームレスの格好をした社長だった。というようなよくある話。
 
この話が私たちに示唆するところは、大きい。
外見はどうでもいいとおもう一方で、
外見に左右されてしまう。
お金に左右されてしまう。
そんなことが、都会での生活では容易に起こるのだ。
 
なぜなら、都会では、より高い商品を、たくさん売る必要がある。
そのために、珍しいもの、かっこいいもの、綺麗なものをつくるひとがいる。
そしてそれを買うひとがいる。
それ自体は問題ないように見えるし、悪いことではない。
 
けれど、いつのまにか、服を買っているようでいて、
服を着ているようでいて、実はひとよりも優越感を感じるために、
自分のプライドのために買うひとがでてくる。
けれど、そういうひとに売ってまでも、売り上げを上げたい。
儲けたい。そんな遠心力が働いていくのが、資本主義という社会。
なぜなら、「欲しい物がどんどん手に入る生活こそ裕福である」という価値観だからだ。
 
このままこの社会構造に与していていいのか。
そんな違和感を感じながら、私はムヒカ大統領の本を読む。
私も清貧でありたい。そして、人と比べずに、幸せを感じながら生きていたい。
そういう社会を身の回りで好きなひとたちとつくっていきたい。そう思う。