あさきすの心のうち

30歳。裏切られて傷つき引きこもり、退職。からの、これからの話

親の愛情を感じたり

実家に帰ってきてから、親へ感謝を感じるようになった。
 
私は今回体調を崩してしまったけれど
実家でご飯を食べ、話すうちに
少しずつ調子がよくなってきているように思う。
 
今までは煙たくて、反抗期のような接し方しかできなかったけれど
親への感謝というものを感じるようになった。
 
実家に帰ってきて、親も喜んでいるように思う。
こうしてゆっくり一緒にいられることも、
もしこれから外で働きに出るなら、なかなかないことだと思う。
そう思うと、この時間は私にとって大切な機会だったのだと思う。
 
私は「計画的に」という言葉が嫌いだ。
「柔軟に」という言葉の方が好きだ。
 
計画する段階では、未来のことがすべて見えているわけではないのに
計画して、計画通りに進めようとするのは、傲慢というものだ。
 
それよりも、やってみて、新しく判明すれば柔軟に、という方が現実的だ。
 
しかし、このような考え方の違いが、一緒に働くひととの間にあると
思っていた以上にしんどいことになる。
 
ひとの価値観の多様性がわかっていれば、落とし所もあるし、
分かり合えて尊重できる部分もあるであろうに、
「計画的」に心酔しているひとにはわかってもらえない。
 
さて、親の愛情の話から逸れましたが、
つまり、人生とは計画的にはいかない、というものです。
 
「計画的」であると「安心」かもしれない。
けれど、それが「幸せ」かはわからない。
誰も責任を取ってはくれない。
それは存外、道端の草花のように、ひっそりとあるような気がする。
 
「偶発的計画性理論」のもと、心惹かれるがままに
たゆたう存在でありたいと思う。