あさきすの心のうち

30歳。裏切られて傷つき引きこもり、退職。からの、これからの話

税金という蚊のような搾取のなかで

退職して改めて感じることだが、
数10万円払う住民税というものは結構高い。
健康保険、年金も合わせれば、年間での支出はかなりのものだ。
これでは生きるために働かざるをえない。
生活コストは安いに越したことはないのに。
 
税金は消費税のようにわかりやすいものから間接的なものまで
幅広く存在するわけだが
給料から天引きされるタイプのものは
大部分の会社員にとってはあまり意識しづらいものだろう
 
機能的に給与支払いのタイミングで天引きする意図もあるだろうが
それはおそらく大衆に反発されないように
知らぬまに抜き取る意図の方が大きいように思う。
 
個人的に思うのは、
税金の愚かな使われ方や、公務員の給与体系や組織などを見てきたが、
構造的に問題があるというのを前職でも感じてきた。
けれど、これを変えることも難しい。
なので変わらないから今があるし、
これから人口減で縮小していく社会構造なのに
ゆるやかに死滅していく自治体が多くなるだろう。
 
生活に必要なコストは安い方がいい。
働かなくていいのが理想だ。
生活コストが高いから、そのために働かざるをえなくなる。
働くことを強制される。
いやでも働かなくてはならなくなる。
 
自由だということは、時間をたくさん持っているということだ。
 
好きなひとと、好きな家族と、好きな仲間と
語り合い、笑い合い、分かち合う時間を持っているということだ。
 
食べるものがあり、着るものがあり、住む家がある。
それで十分ではないのだろうか。
 
資本主義という遠心力のなかで、世の中は複雑になり過ぎている。

裕福ということ。ムヒカ大統領の本を読みながら。

私たちは、欲しい物がどんどん手に入る生活こそ裕福である、
という価値観の中で生きてきたのではないだろうか。
 
そこには「手に入らない生活は貧しく、不幸だ」ということを孕んでいる。
では、世界的にみたときに、ものを手に入れていないひとは不幸なのかというと
必ずしもそうではない、ということに気づく。
 
それに、ほしいものを手にいれるためにはお金が必要になる。
お金を得るためには競争に勝利したり、人を騙したりすることもある。
そこには醜い人間関係が生じうる。
 
そうまでして、私はお金を手に入れたいとは思わない。
 
ウルグアイのムヒカ大統領の本を読んでいる。
彼は世界でもっとも貧しい大統領として、清貧な生活を送っている。
 
そういう人はえてして、田舎に住んでいる。人口が少ないところだ。
 
なんとなく、そこに答えがある気がする。
 
なまじ、人が多いと、人と比べる。
そして、劣等感を抱いたり、優越感を抱くために着飾ったりする必要が出て来る。
毎日、好きなひととだけ出会う生活ならば、
特別に着飾る必要はない。
なぜなら、外見でそのひとの価値は何も変わらないからだ。
 
昔たとえば「ザ・シェフ」という漫画があった。
そういう本に出て来るのは、
みすぼらしい格好をした客人にどういう対応をするか。
実は、ホームレスの格好をした社長だった。というようなよくある話。
 
この話が私たちに示唆するところは、大きい。
外見はどうでもいいとおもう一方で、
外見に左右されてしまう。
お金に左右されてしまう。
そんなことが、都会での生活では容易に起こるのだ。
 
なぜなら、都会では、より高い商品を、たくさん売る必要がある。
そのために、珍しいもの、かっこいいもの、綺麗なものをつくるひとがいる。
そしてそれを買うひとがいる。
それ自体は問題ないように見えるし、悪いことではない。
 
けれど、いつのまにか、服を買っているようでいて、
服を着ているようでいて、実はひとよりも優越感を感じるために、
自分のプライドのために買うひとがでてくる。
けれど、そういうひとに売ってまでも、売り上げを上げたい。
儲けたい。そんな遠心力が働いていくのが、資本主義という社会。
なぜなら、「欲しい物がどんどん手に入る生活こそ裕福である」という価値観だからだ。
 
このままこの社会構造に与していていいのか。
そんな違和感を感じながら、私はムヒカ大統領の本を読む。
私も清貧でありたい。そして、人と比べずに、幸せを感じながら生きていたい。
そういう社会を身の回りで好きなひとたちとつくっていきたい。そう思う。

このネット世界の片隅に

少しだけ自分の属性を公開した。

こんなネットの片隅で、多少の属性を公開したところで

自分の素性にはたどり着かないだろう。

ネットの世界には膨大な情報が溢れているし、

そもそもひとは他人に、大して関心なんてない。

 

もしここに辿り着いたとしたら、貴方はとても稀有なひとだ。

それでもこの文章を読んでくださったことに感謝します。

 

この日記は私の気持ちの整理と、

日々の雑記のために書いているだけ。

自分のなかに溜めているよりは、吐き出してしまった方がいい。

そう、そんな他愛のないもの。

 

けれど、世の中には私のように、あるいは私以上に

苦しい経験をして、誰にも言えずに困っているひとも

他にもいるかもしれない。

 

そんなときに励みになるのは、事情をわかってくれない無神経なひとよりも

気持ちをわかってくれる人や、

同じように悩みながらもがんばっている人だろう。

まぁ、そのひとまで届くかなんてわからないけれど。

けれど、やってみないとわからないのもまた、世の真実。

試してみることは悪くない。

 

Relifeという漫画がcomicoというアプリで連載されている。

最近の話で、大神というキャラが、友人に悩みを吐露できない状態になっている。

そのときの作者の心理描写が絶妙過ぎて、感動した。

 

「なぜ親しい友達に相談できないのか」

それは親しいから、だ。

迷惑をかけたくない。関係を変えたくない。気を遣わせたくない。

だから、「相談して」という言葉では相談できない。

 

「嫌われる勇気」よりも、私は「吐き出す勇気」が必要なのだと思う。

そして、「心から信頼できる仲間」「なんでも受け止めてくれる仲間」

がほしいと思っているのだろう。

 

溜めていった感情は沈殿し、澱のようなものになる。

次第に飲み込まれ、自分を失う。

 

わかるひとにはわかるし、わからないひとにはわからない。

あなたはそう思います。私はそう思いません。

ひとと自分の違いを、認識していないと

世の中では手痛い目に遭う。

 

世の中が「3月のライオン」のような

優しい世界であればいいのに、と思う。

 

私はお人好しだ。すぐに人を好きになり、信用する。

あるいは、必要とされると、断れない。

そのせいで騙され、利用されたこともあった。

けれど人で傷ついたけれど、そこから救ってくれたのも、また人のおかげだった。

だから、私はきっと「人」を大切にすることをライフワークにしていくと思う。

 

私が誰かに傷つけられた経験が

いつか、誰かに優しくできる未来に繋がる気がするから。

 

つまらない悪意に屈して、いつまでも下を向いているつもりはない。

私を傷つけた彼は、何事もなかったように笑って過ごしているわけで

私が進むことで、変えられる世界と出会いがあると信じている。

 

そして、仕事をやめるタイミングがあったから、

改めて、「本当に自分がやりたいことはなにか」

考える機会ができた。

 

わかったことは、私は思っていたよりも、起業家タイプではない。

自分のため、というよりも人のための方が力が出るタイプだ。

そして、ひとりでがんばるよりも、仲間と何かを一緒に成し遂げたい。

もし、他に何かを頑張ろうとしているひとがいて、

それに自分も心から共感できるのなら、一緒にやることだって悪くない。

 

自由になって、なんでもやっていいって状態になって

いざ選ぶ段階になって、それは初めてわかったこと。

 

雇用されるのではなくて、依存するのではなくて、

甘えるのではなくて、利用されるのではなくて、

主体的に、責任をもって、対等に、関われるなら

会社というチームで働くことも、悪くないかもしれない。

 

30歳ということで、いつまでものんびりもしていれない。

結婚したいと思えるひととも出会いたいし、子供もほしい。

だから、いい加減な選択はしたくないし、妥協なく、選びたい。

そして、選んだ道を、誰かのせいにせず、自分で正解にしていきたい。

 

何をするにせよ、どこに行き着くにせよ

次に選ぶ道にやれるだけの覚悟をかけたい。

それだけのひとなのか、魂を見極めさせてほしい。

 

直感的には素敵な仲間になれそうな予感はするけれど

やはり不安な予感も、情報の箇所箇所にある。

 

自分の人生はどこに行き着くのだろう。

それは私にも、誰にもわからない。

 

正解はどこにもない。

「本当は一本道の迷路を、散々迷って人は歩くよ」

というmorohaの歌詞が沁みる。

怒りに囚われるとロクなことがない

些細なことで怒りに囚われた。
 
一度怒ってしまうと、しばらくの間、それに囚われてしまう。
 
たぶん、私は怒りやすい方なのだろう。
言いたいことを言わずに、心のなかだけで言う。攻撃する。
けれど、言わないから伝わらない。
だから、ストレスが溜まって、怒る。
 
いやなことは早めにいやって言わないとダメなのにね。
 
我慢したり、自分を二の次にしたり、人に合わせることを
脊髄反射のようにしてきたから、無意識にしてしまう癖がついている。
 
本当はどうでもよくないのに。
 
だから、私は付き合うひとを気をつけなければならない。
苦手なひととは、自然と距離を取るようにしている。
よくよく、見極めなければならない。
 
しかし、ひとはやはり違う。
あまりに間口を狭くしてしまうと、世界も狭くなる。
そのバランスが難しいなぁと思う。
 
怒りでは何も解決しない。

心静かに

凪という状態がある。明鏡止水といってもいいかもしれない。
 
穏やかで、あたたかくて、心に沁みるような。
 
強風が起きても、雷雨がきても乱されない。
そんな状態でいつもいられたらいいのにね。
 
静かな夜に、思いを馳せる。
 
私はこれからどこに向かうのだろう。
 
不安や焦りに飲み込まれそうになりながら
私は舵を取る。
 
水のなかに、深く深く沈んでいくように。

相談できない性格

自分でも自分の性格がめんどくさいことと思う。
しかし、長年付き合ってきたこの性格を
今さら変えることはできない。
傾向を把握し、どう付き合っていくか、だ。
 
考え過ぎ。
ひとに迷惑をかけたくない。
自分で頑張り過ぎる。
 
でもどこかで、もっと気軽に甘えたい。相談したい。
いつでも受け止めてくれるひとがいたら。
そんな無意識があるのかもしれない。
 
「そんな都合のいいひとは いない」
人はそう言うかもしれない。
けれど、もしかしたらいるかもしれない。
 
人生は、会いたいひとにどうしたら出会えるか、という旅だとおもう。
 
この人生のままだと、私はたぶん出会えない気がした。
 
だから、環境を変えてみようと思ったんだ。

ビジョンコミュニケーションをしてから

ビジョンコミュニケーションとは、簡単に言うと
 
「お互いに将来のビジョンを理解し、
お互いこういう方向に進もうとしているから
こう協力し合えるよね。こうしていきたいよね。」
 
というようなものだと思って頂ければ差し当たり問題ないかと思います。
上司と部下のコミュニケーションでは必須。
 
こういうのは、話していればわかってくると思います。
このひとの目指す未来は、私が目指す未来かどうか。
ベクトルの方向が近いかどうか。
 
同じ「働く」という行為なら、私は
自分が目指す方向に、一緒に努力し続けられるひとと、一緒にいたいよ。
 
だから、働くにあたって、私はそこがいちばん大切。