あさきすの心のうち

30歳。裏切られて傷つき引きこもり、退職。からの、これからの話

就職して1年。

人にはいえないことを、ことに書こうと思います。

 

1年前から働き始めました。

精神状態は回復しました。

 

けれど、職場環境はイマイチです。

 

一緒に働いている数人のうち、

社長の元妻が社員と不倫をして離婚。

不倫を隠した状態でその2人は隠れて交際しながら

好き勝手働く職場でした。本当にいい加減にしてほしい。

 

その2人がものすごく勝手で、大変でした。

パワハラも本当に自覚なくすごくて死んで欲しかったです。

 

過去形なのは、ようやく退職してくれたからです。本当によかった。

 

けれど、立つ鳥跡を濁しまくって出発したので

めんどうくさい状態です。

そして、社長の考え方に賛同できない最近です。

労働基準法もまったく守ってないし、守る気がない。。

 

そんななかでも、新しい職場で出会ったひとと結婚することになりました。

そして日々の生活はとても幸せです。

 

これからの人生、こんな会社に預けたくないので近いうちに独立を考えています。

いやなこと

いやなひとは、いる。

 

その人のせいで嫌な気分になる。

 

けれど、そのことを誰かに言いたくはない。

 

そのことを考えて嫌な気分になりたくもない。

 

だから、毎日記憶を塗り替えるように、

目の前のことに、一瞬一瞬に打ち込むのだ。

 

つまらないあいつらのようにはならない。

母との過ごし方がわからない。

私は新しい仕事のために、もうすぐ引っ越す。
あと数日したら、次の年末まで母と会えなくなる。
 
母が非番なので一緒にとんかつを食べにいった。
道中、車で一緒にいても、大して話すことはない。
 
私は基本無言。時おり母が質問してくる。
けれど、10回に7回は話がうまくいかない。
必要以上に大きい声にも
無神経な言葉にもイライラしてしまう。
母の踏む車のブレーキが毎回きつい。近眼なせいだ。
私は頭が痛くなり、気持ちが悪くなる。
 
食べ終わり、本当は一緒に買い物にいく予定だったが
気分が悪くなってやめた。
母はパチンコへ行った。私はひとりで横になることにした。
 
私は母との時間の過ごし方がわからない。
 
母は私に何かを買ってあげたいと言ってくれるが
私は「大丈夫」と言う。母は残念そうな顔をする。
帰省するたびに「あんたにこれあげるわ」と
安くてダサい服を渡されそうになる。私は「いい」と言う。
 
母は身なりに無頓着で、1000円〜3000円ぐらいの服しか着ない。
よそ行きの服なんて、お葬式のときぐらい。
いつもジャージみたいな服だ。
 
私は昔から、家にお金がないことを知っていたから
「欲しい」とねだることを自然としなくなった。
 
母は「あげる」と言い、私は「大丈夫」と言う。
母は自分のためにお金を使わない。
私は母自身のために使って欲しいと思い、断る。
 
私がひとのために尽くす性分なのは
きっと母からの遺伝だと思う。
 
ほとんどの場合、母と一緒にいても苦痛だ。
楽しくない。
それでも、母をどうしても嫌いにはなれない自分も確かにいる。
ハリネズミジレンマのような呪い。
 
私は自分の不器用さに辟易する。
そんな不器用な家族のかたち。

就職先が決まりました。

こんにちは、あさきすです。
おかげさまで就職先が決まりました。
 
地元に帰ってきたその日にfacebookから流れてきた求人を見て
ストライクゾーンど真ん中。
しばらくお休み期間に入ろうと思っていたのに
つい身体が動いてしまい、その日のうちに応募。
 
とんとん拍子に話が進み内定。
 
奇跡のようなタイミングとご縁。
嬉しいような悲しいような。
 
もうすぐ働きはじめるので、
こんな風に文章を書く時間があるかわかりません。
 
もっと休んだ方がいい気もするけれど
いつまでも休んでいてもきりがないのもわかってきていて。
いまからもう一回がんばるのか、と思うとちょっぴり憂鬱。
 
直感的にはいいひとたちと働ける予感がしていて楽しみなのだけど
元気に働けるのか不安だったり、迷惑かけないか不安だったりする。
 
でも面接ではこんなダメな部分も少しさらけ出した上で
それでも受け入れてくれた部分もあるから
大丈夫だと思う。
そして、もう一度がんばってみたい気持ちもある。
 
ホメオスタシスという名の現状維持したいという生物学的な本能に
これから抵抗してみようと思います。
たぶん、働くなかでしかわからないことってあると思う。
 
そんなまとまらないぐちゃぐちゃな毎日。

潰れたままのティッシュボックス

こんにちは、あさきすです。

 

「潰れたままのティッシュボックス」に私は馴染みがあります。

それがどういうことかおわかりいただけるでしょうか。

もちろん中身は入っています。

  

潰れたままのティッシュボックスが意味するところは

「踏まれている」ということ。

ティッシュボックスは机の上にあるものではなく

それは、地面に置かれていた。ということ。

それはつまり、足の踏み場がないということ。

そして、かたちを直すことも施されておらず、それが常識ということ。

もちろん、誰かお客さんを呼ぶこともない。 

 

潰れたティッシュボックスというひとつの物だけで

私の家庭環境の一端が垣間見えるかもしれない。

乱雑に散らかった部屋。

粗雑で、無神経で、声が大きい両親。

みっともなくて、友達を家に呼んだことが私はない。

 

「ひとを呼べる空間がいつか欲しい」

そう無意識に憧れる自分がどこかに生まれた気がする。

 

以上です。ありがとうございました。  

タイピングをするときの音

こんばんは。あさきすです。
 
パソコンで文章をつくるとき
優しいタッチと音を奏でながらタイピングするひとは
きっと優しい心の持ち主ではないだろうか。
 
深夜、ピアノ曲を穏やかな気持ちで聴きながら、ふと思う。
 
そんな心境のとき、私のなかにも「慈愛」にも似た感情が
現れてくるのを感じる。
ふだんからそこにあるわけではないのにね。
 
それは激しい音楽を聴いたり、荒っぽくタイピングしているひとの文章では
きっと宿らない。気がする。
 
少しでも、穏やかな気持ちで綴りたいと思う。
文章を読んだあなたに少しでも伝わるように。
 
以上です。
どうもありがとうございました。
 
あさきす

私にとって大切なこと。

私にとって大切なことは
「好きなひとと話せること」。
 
たぶん、私はそのために生まれてきたのだと思う。
それが幸せなのだと思う。
 
願わくば、私はそのために、人生の時間を使いたい。
できる限り多く。深く。
 
それはコミュニケーションの価値が、暮らしの価値だからだ。
それがきっと経済的な豊かさを超える、「心の豊かさ」に繋がる。
 
私が欲するのは「心の豊かさ」だ。それはお金では買うことができない。
 
では、どうしたら心の豊かさを手に入れられるか。
好きなひとに出会えるのか。
 
最初の会社では、あまり好きなひとに出会うことはできなかった。
会社、というのはある程度似た価値観のひとの集合体だ。
その会社に惹かれて、集まったひとが多い。
だからある意味ではチームワークが機能しやすい。
 
けれど、私が入った会社は、私の価値観とは少し違った。
よく言えば戦略的で、悪く言えば計算高くて、
人を利用するようなひとが多かった。
だから、いまでは全然連絡を取っていないし、今後の人生でも取らないと思う。
 
そのあと日本を少し旅するなかでわかったのは、
私が「好き」だと思った場所や人の周りには
「好き」だと思えるひとが多くいる、ということだった。
 
不思議なことなのだけれど、好きは好きを引き寄せる、
というのはあるんだなぁと思った。
 
だから、私が好きなひとと出会うためには
そのための「待ち合わせ場所」を創るか、そこに行く必要がある。
 
そうしたら、そこできっと出会える。この広い広い世界でも。
 
この広い世界では、生きていても、一生話すことがない人もたくさんいる。
けれど、ある志で、ある想いで、何かをがんばっていたら、
その活動に共感して、その場所の想いに共鳴して、そこに来てくれるひとがいる。
 
そうして初めて出会うことができるんだ。
 
だから、私の次の仕事はそんな待ち合わせ場所にしたいと思っています。
たくさんの人がくる場所じゃなくていい。
そんなことよりも、大好きな人までこの声が届くように
この声が届くまで、大きな声で叫ぶ。
 
世界の中心で愛を叫ぶように。